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PC-98にFreeBSD(98)をぶち込んで、自宅サーバーを作って夜更かししていたあの頃の思い出

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最近「実家の片付けをしていたら古いPC-98(あるいはPC-88)が出てきた」なんてニュースやSNSの投稿を見かけるたびに、僕の脳裏にはあの懐かしい「ピポッ」という起動音と共に、20代の頃(あるいは学生時代)の狂気じみた熱量がよみがえってきます。
今でこそラズパイや古いノートPCで簡単にLinuxサーバーを作れますが、1990年代後半から2000年代初頭、僕らの世代の「自作自宅サーバー」の定番といえば、「型落ちしたPC-98にFreeBSD(98)をインストールすること」でした。
今回は、あの頃のインターネット黎明期、寝室でファンの爆音を響かせながらサーバー構築に明け暮れた思い出を振り返りたいと思います。

1. 粗大ゴミ置き場や中古屋で拾ってきた「PC-98」が宝物だった
当時、世の中はすでにWindows 95/98の登場でPC/V compatible(DOS/V機)へ完全移行する過渡期。オフィスや大学で「産業廃棄物」としてお役御免になったPC-9801やPC-9821が、格安(あるいはタダ)で手に入る時代でした。
PC-88だとさすがにZ80の8bit機なのでサーバー化は無理(※当時はCP/Mなどで通信する世界)でしたが、PC-98ならi386やi486、贅沢を言えばPentiumが載っています。
「MS-DOSで動かすには古いけど、UNIX系OSを入れれば立派なサーバーになる!」
そう気づいたギークたちは、重いデスクトップ本体を抱えて家に持ち帰り、ホコリを払って「自分だけのサーバー」へと改造し始めたのです。
2. 伝説のOS「FreeBSD(98)」と、フロッピー地獄
当時のバイブルは、インプレスの青い本や、カットシステムなどの技術書。そして付録のCD-ROMからインストールするのですが、PC-98は一筋縄ではいきません。
PC/V機用のFreeBSDをそのまま入れても動かないため、有志が開発していた「FreeBSD(98)」という日本独自のパッチがあたったバージョンを使う必要がありました。
  • 恐怖の「フロッピー数10枚ブート」:CD-ROMドライブが認識しない機種では、ベースシステムを入れるために何枚もの3.5インチフロッピーディスク(2HD)にイメージを焼き、1枚ずつ「ガチャン、ガチャン」と入れ替える作業が必要でした。途中で1枚でも読み込みエラー(Bad Sector)が出たら最初からやり直し。あの絶望感は異常でした。
  • Cバスの壁:ネットワークカード(NIC)は、今のようなLANポートではなく「Cバス」と呼ばれる拡張スロットに挿す3C509やLAN-98など。I/OポートやIRQのディップスイッチ設定を間違えると、OSがネットワークを認識してくれない。一晩中ハードウェアと格闘するのが当たり前でした。
3. 寝室で響くファンの爆音と、最初の「Welcome to FreeBSD」
苦労の末、画面にテキストがダカダカダカッと流れ、お馴染みのデーモン君(アスキーアート)と共に「Welcome to FreeBSD」が表示された瞬間の脳汁の出方は半端ではありませんでした。
そこからは、ダイヤルアップ接続や、出始めたばかりのISDN(テレホタイム!)、あるいは初期のADSL(アッカやイー・アクセス)を繋ぎっぱなしにして、サーバーの24時間稼働が始まります。
  • ports からApacheやSamba、Perlをソースコードからコンパイル。i486のCPUでは、ひとつのパッケージをビルドするのに数時間、場合によっては1晩かかりました。
  • 部屋の電気を消しても、PC-98の電源ファンとHDD(数百MB〜数GBのIDEやSCSI)が「クォーーーーン」「ガリガリガリ!」と爆音を立てて回っている。
  • 夏場は部屋がサウナ状態になり、熱暴走でサーバーが死なないかハラハラしながら、扇風機を本体に直撃させて冷ます。
あのうるさくて暑い部屋で、JAPAN organized Network(JUNET)の残り香を感じながら、世界中のサーバーと繋がっている感覚に、ただただシビれていました。

まとめ:あの「ピポッ」から始まったインフラの旅
その後、PC-98ベースの自宅サーバーたちは、電気代の高さ、パーツの寿命、そして何より「Linux/FreeBSDが爆速で動く格安DOS/Vパーツ」の台頭によって、静かに引退していきました。
しかし、カーネルの再構築(config GENERIC)で不要なデバイスを削り、限られたメモリ(16MBや32MB!)の中で、いかに軽量なシステムを作るかを学んだあの経験は、今のクラウド時代におけるパフォーマンス・チューニングの基礎そのものです。
今でも時々、あのPC-98の「ピポッ」という乾いた起動音と、FreeBSD(98)のインストーラーの青い画面が恋しくなります。あの頃、ジャンクの98をハックして夜更かししていた皆さん、あなたの最初のサーバーは何の機種(An?BX?Fellow?)でしたか?
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