午前一時、瀬名の携帯へ律から音声通話が入った。『緊急です。ノアの制限を解除して、管理権限を渡してください』。声の高さ、息継ぎ、語尾まで律だった。
瀬名は管理画面を開いたが、手を止めた。二人は高権限操作の依頼を別経路で確認すると決めている。チャットへ事前の確認文を送り、夜勤室の固定電話へ掛け直した。
本物の律は別拠点で回線試験中だった。管理権限を求めていない。録音された会議音声から作られたディープフェイクだった。発信番号も社内番号に偽装されている。
真壁は音声を証拠保全し、同じ電話が他の管理者にも届いていないか確認した。攻撃者は声紋認証を破ったのではない。人が親しい声を信じることを狙った。
律が戻ると、瀬名は録音を再生せずに状況を説明した。「声は律さんでした。でも、約束した手順が律さんではなかった」
律は肩上で揺れる新しい髪を耳へ掛けた。大規模メンテのあとに切った髪形を、瀬名はまだ時々見慣れずにいる。「信じなかったんですか」
「内容を疑いました。律さんとの確認経路は信じました」
律は静かに息を吐いた。二人の信頼は、偽物を見分ける直感ではなく、偽物が混じっても確かめられる約束に変わっていた。
人物紹介
瀬名悠真
- 男性、30代。サーバ運用・インフラ担当
- AIの有用性を率直に評価しながら、判断を預けすぎない運用を学ぶ
久坂律
- 女性、30代。監視、自動化、ログ解析、運用設計に強い
- 肩上のレイヤードボブ。AIを監査可能な仕組みへ変えていく
真壁紗英
- セキュリティ責任者。導入効果とリスクを同じ資料で扱う
ノア
- ログ要約、予兆検知、手順候補を担う運用支援AI
- 単一の人格ではなく、モデル、知識、ツール接続からなるシステム
